こんにちは、にまこです。
7月の連休に岐阜旅行に行ってきました。
その時カルチャーショックを受けた事を調べてみました。
玄関ドアが開けっ放し
山とその間の集落をドライブしていて気付いたこと。
それは半分以上の家の玄関ドアが開けっ放しだということ。
虫が入らないように網戸はついている家がほとんどなのですが…
そもそも玄関のドアを開けっ放す文化を持ち合わせていないにまこは、こんなにも玄関ドア開けっ放しの家があるのかとびっくりしてしまいました。
だから引き戸が主流だったのかな?とも思った。
開けっ放しにしやすいもんね?
大きなガラス引戸がたくさん
また、昔ながらの家を想像していただくとわかりやすいのですが。
部屋の外に縁側があって、その外側にガラスの引戸が連なっている家が非常に多くありました。
こんな造り、今では絶対やらないですよね?
適切な写真が見当たらなくて申し訳ない!
他人の家勝手に撮るわけにもいかないしね…
泥棒入らないの?
純粋にそう思いました、泥棒入らないの?って。
玄関ドアが開いてたら、どんな防犯も無駄ですよね…
ガラスなんてすぐに割れてしまうし。
にまこ家の場合。
家に入ったら必ず鍵をかけます。
庭に出ている時でも、玄関から目を離す時は鍵をかけています。
また窓は人が入れないサイズ&位置に配置し、掃出窓にはシャッターを付けています。
窓を開ける時しかシャッターを開けないし、窓を閉めたら同時にシャッターもすぐに閉めます。
こんなに一生懸命防犯対策してるのに…あまりにも無防備なんでは、と不思議に思いました。
昔は泥棒がいなかった?
もし昔ながらの家がみんなこうなら、もしかして昔は泥棒っていなかったの?と思い、調べてみました。
石川五右衛門
にまこ歴史超苦手なので、石川五右衛門が泥棒ってことを初めて知りました(笑)
捕まった石川五右衛門は家族共々釜茹でにされてしまうのですが、その処刑があったのが1594年だったそう。
少なくとも1500年代には泥棒がいた、ということですね。
ギリシャ神話のヘルメス
遡ると、なんとギリシャ神話に泥棒の神と呼ばれる神様を発見。
ヘルメスといい、脱走して牛を盗んだと語られています。
ギリシャ神話が作られた遥か昔から、泥棒という存在はあったということですね。
仮説①集落内の結びつきの強さ
田舎ほど隣近所との親密感が強いと言われています。
にまこも祖父母の家に行くと、
「隣の○○さん家の息子が△△って会社に勤めてて…」
とか、
「あそこの✕✕さんとこは娘が結婚しなくて…」
とか、そんな話ばかり聞かされます。
まじどうでもいい…その人知らんし。
要するにここ一帯の情報は全て自分の手元に入ってくるから、なんら問題はないであろう、と思っている。
という仮説。
仮説②地形的によそ者が入る事が難しい
山間の集落には、確かに誰にも気付かれず入り込むことは難しいかもしれません。
そもそも山に囲まれているため、どうやって来るのかという問題。
くねくねの山道は1本しかないし、鬱蒼と茂る山の中を歩いてくるのは現実的ではありませんよね。
もし集落に入り込めたとしても。
①のように集落内全てを把握している住民たちにとっては、見慣れない車や人を見つけるのは容易いことでしょう。
ふらりと歩いてくるような人は、いないに等しいよね、確かに。
最後に
山間の集落で、玄関を開けっ放しにしても安心な理由。
それは山という大きな塀と、住民の目という監視カメラのお陰なのではないかという結論に至りました。
いかがでしたか。
見ていて心配になるにまこでしたが、確かに風が吹き抜けて気持ちよさそうだなぁと思いました。
そんな場所に暮らしてみるのはどうかなぁ…いや無理かな…干渉されるの嫌。
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